過去の展覧会

アルバレス・ブラボ写真展―メキシコ、静かなる光と時



マヌエル・アルバレス・ブラボについて
《自写像》1980年
マヌエル・アルバレス・ブラボ・アーカイヴ蔵
©Colette Urbajtel / Archivo Manuel Álvarez Bravo, S.C.
マヌエル・アルバレス・ブラボ(1902-2002)略年譜
  • 19022月4日メキシコシティ中心部に8人中5番目の子として生まれる。父は教師でアマチュア写真家。
  • 1910(8歳)メキシコ革命が勃発、10年あまり動乱が続く。
  • 1915(13歳)寄宿学校を退学し、父亡き後の生活を支えるため働き始める。学友の父からカメラを贈られる。
  • 1916(14歳)メキシコ財務省の会計係となる。翌年サンカルロス美術学校の夜間コースで学ぶ。
  • 1923(21歳)ピクトリアリズムのメキシコ風景写真で知られる、ドイツ出身のフーゴ・ブレーメに暗室作業を学ぶ。
    米国から写真家のエドワード・ウェストンティナ・モドッティが来墨。モドッティには1927年に出会う。
  • 1924(22歳)初めてカメラを買う。この頃のピクトリアリズム調の写真は、のちに自ら破棄した。
  • 1925(23歳)のちに写真家として活躍するロラ・マルティネス・デ・アンダと結婚(-1934年頃)。一男を授かる。
  • 1928(26歳)「第1回芸術写真展」(メキシコシティ)に出品。この頃、モダニズムのスタイルを探求。プラチナ・プリントを初めて手がける。
  • 1929(27歳)モドッティが匿名でウェストン宛にアルバレス・ブラボの写真を送り、注目される。また彼女から画家ディエゴ・リベラを紹介される。この年、国立サンカルロス美術学校で写真を教える(翌年辞職するが、30年代に何度か復職)。
  • 1930(28歳)国外追放となったモドッティからカメラを譲り受け、文化紹介誌『メキシカン・フォークウェイズ』の仕事も引き継ぐ。
  • 1931(29歳)写真家として独立するため、財務省を辞職。この頃フランスの写真家ウジェーヌ・アジェの写真集を入手する。エイゼンシュテインの映画『メキシコ万歳』の撮影ロケに同行。リベラが審査員を務めたセメント会社ラ・トルテカの芸術コンクールの写真部門で一等賞を受賞。
  • 1932(30歳)画廊ガレリア・ポサダ(メキシコシティ)で初個展。18点を展示。
  • 1933(31歳)写真家・映画製作者のポール・ストランドと出会い、小旅行をする。
  • 1935(33歳)前年に来墨していたアンリ・カルティエ=ブレッソンと芸術宮殿(メキシコシティ)で二人展を開催。同展にウォーカー・エヴァンスの作品を加えた「ドキュメンタリー&アンチ・グラフィック」展がジュリアン・レヴィ・ギャラリー(ニューヨーク)で開催。
  • 1938(36歳)リベラ宅にて詩人のアンドレ・ブルトン、革命家レフ・トロツキーに紹介される。初めて実験的にカラー・プリントを制作する。
  • 1939(37歳)ブルトン企画の「メキシコ」展(パリ)に出品。シュルレアリスム芸術誌『ミノトール』にも作品が掲載される。
  • 1940(38歳)「シュルレアリスム国際展」(メキシコシティ)に出品。ニューヨーク近代美術館(MoMA/ニューヨーク)の「メキシコ美術の2000年」展に、唯一の現代写真家として出品。
  • 1942(40歳)米国人ドリス・ヘイデンと結婚(-1962年)。一男一女をもうける。
  • 1943(41歳)メキシコ映画産業労働組合のスティル写真家として働き始める。50年代にはルイス・ブニュエルの映画『昇天峠』の製作に関わる。自身も50年代末から70年代にかけて8mmやSuper8mmで映画製作し、映画産業との関わりが深くなる。
  • 1945(43歳)現代芸術協会の主催により個展「芸術としての写真」(メキシコシティ)を開催、最初の主要回顧展となる。
  • 1949(47歳)国立芸術院の委嘱を受けてチアパス州に赴き、ボナンパク遺跡や先住民集落の記録写真を撮る。
  • 1955(53歳)エドワード・スタイケン企画の記念碑的展覧会「人間家族」(The Family of Man)展(MoMA/ニューヨーク)に出品。
  • 1957(55歳)メキシコ造形美術サロン(メキシコシティ)にて、新作を含めた個展を12年ぶりに開催。
  • 1959(57歳)映画産業の仕事を辞め、メキシコ造形美術出版基金を創設。
  • 1962(60歳)メキシコシティ南部コヨアカンに自宅を建てる。フランス人コレット・ウルバフテルと結婚。二女をもうける。
  • 1968(66歳)メキシコオリンピックの文化プログラムの一環で芸術宮殿(メキシコシティ)で回顧展を開催、250点展示。
  • 1972(70歳)芸術宮殿(メキシコシティ)で400点を展覧する大規模な回顧展を開催。出品作はメキシコ政府が買い上げた。以降、米国、イスラエル、スペインなど各地で回顧展が開催される。
  • 1976(74歳)この頃、自宅やその庭を舞台にしたヌードのシリーズを新たに撮り始める。
  • 1997(95歳)イメージ・センター(メキシコシティ)で「ヴァリエーション」と題した新作170点による大規模な個展を開催。
  • 2002(100歳)10月19日、コヨアカンの自宅で永眠。
  • 2005娘のアウレリアが遺作や資料の調査・管理を目的にマヌエル・アルバレス・ブラボ・アーカイヴを設立。