靫彦の肖像画

2016/07/10

いよいよ今日は最終日です。

本展で一番最初に皆さんをお迎えする2つの作品を、最後にご紹介します。

 

会場写真伊豆 004.JPG

 

二枚とも、安田靫彦の作品です。

左は、靫彦が沐芳に強く勧められて結核の静養のために新井旅館に滞在した、明治42年頃、25歳頃の作品です。

大きな作品を描く体力はなかったけれど、小さな扇面に、自身を助けてくれた沐芳のために、修善寺の近く、伊豆長岡出身の「あやめの前」を描いています。落款には、養気館(ようきかん)=(新井旅館)のために描いたと謹んで記されていますね。

 

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安田靫彦「あやめの前」明治42~44年 25~27歳 伊豆市 

 

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(部分)

 

よくみると、このあやめ御前、入浴の場面なのではないでしょうか。着物をはおっていますし、扇と柄杓がえがかれていて、お湯の表現でしょうか、水面は墨に加え、金泥のような色彩が施されていますね。新井旅館にはあやめ御前の入浴したお風呂があったということですから、養気館新井にゆかりある歴史画の主題を選んだのかもしれませんね。

 

 

新井旅館、修禅寺 019tori.jpg

安田靫彦 相原沐芳像 昭和26年 67歳 新井旅館 

 

右は修善寺の梅の木の前に立つ相原沐芳の晩年の姿です。眼光は鋭いですが、凛とした品格のあるたたずまいですね。実はこの作品、亡くなった翌年に夫人から依頼を受け、5年半の歳月を経て、沐芳七回忌に完成したというものです。靫彦にとって、20代から約30年以上、生涯家族ぐるみで交流したこの大恩人・沐芳の姿は、目をつむっても描けたはずですが、この作品を描くにあたって、相原つる夫人より写真7枚と着物を借りて、それを写して描いたそうです。靫彦晩年の良寛ばりの美しい書で、夫人あてに綴られた本作の添状には、さらに沐芳晩年の容貌を写生すること機を逸し、写真だけに頼った作画になったことを悔やんでいます。

 

写生を重視し、常に真摯な作画姿勢を貫いた靫彦ならではの、とてもよい作品だなあとつくづく思います。

靫彦は"歴史画の靫彦"と一般にいわれますが、肖像画がいいよね、と本展を観覧してくれた友達からメールが来ました。

本当にそうだなあと改めて思います。

このブログでもご紹介した相原浩二君寿像も、かわいらしい赤ちゃんの様子がとても生き生きと描かれていますし、この沐芳の肖像画もそうですが、画家の対象に対する"情"がありますね。

 

 

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安田靫彦筆「直心浄国禅師画像(じきしじょうこくぜんじがぞう)」(旭傳院(きょくでんいん)蔵)

 

本展でパネル展示をしています、静岡・焼津の旭伝院に伝わる頂相は、靫彦にとって初めての肖像画制作の機会となったものです。これは、八戸出身で総持寺独住3世貫主をつとめ、明治43年12月4日に遷化した西有穆山(にしありぼくざん)(1821-1910)の肖像画で、穆山没後半年余り経った明治44年7月以前に、修禅寺の丘球学、相原沐芳らを介して、穆山の弟子の岸澤惟安(きしざわいあん)から依頼を受けて描かれたことが書簡からわかる作品です。写真だけを参考にしたために、「要点を得るのに苦心」し「甚だ悪作」と、靫彦自身は厳しく評価をしていますが、禅師の人となりが感じられるような、まさしく頂相だし、清らかな肖像画だなあと、現物を拝見させていただいて思いました。

 

靫彦の肖像画には、その絵画制作に対する真摯な思いがにじみでたいい作品がおおいなあ、と私も思います。

改めて、相原沐芳像、ぜひお見逃しなく、またよくかみしめてご覧いただけましたら幸いです。

 

(e.y.)